三ツ堀自治会が市を告訴した裁判
 福田地区三ツ堀にある清掃工場の不燃物処理施設の稼働は、地元三ツ堀自治会との約束では8年限り(一昨年の11月まで)となっていた。これは30年間清掃工場を引き受け、カドニウム公害やダイオキシン問題に苦しめ続けられていた地元の思いである。市の公文書でも期限は明確にしていたのだが、期限後強引に施設を稼働させ約束を反古にした。議会でも自治会と真摯に話し合うべきと再三問題となったが市は頑なな態度を崩さず裁判に至ったのだ。  8年間の期限を確約した公文書を根拠に自治会は争っているが、市側は「文書は出したが、別に当時の自治会長と期限は検討するという旨の『口約束』があった。この口約束の方が有効だ」とあきれ果てた住民を愚弄する主張を続けている。



口約束はしていません!
三ツ堀自治会長 増田 總司

 野田市から、平成15年9月10日に「同年11月30日をもって稼働期間8年を迎えることになる不燃物処理施設の稼働継続について協議していただきたい」と、文書による申し入れがありました。三ツ堀自治会といたしましては、早速に対策委員会を開き検討の結果、平成6年4月7日付け市長宛の確認事項文書及び同年4月15日付け回答書を添付して、「この文書は公文書による回答と理解しているので狭義には応じる考えの無い」ことを9月30日に文書として送りました。しかるに市は、10月8日付けで、「回答した稼働期間は8年後に必ずしも稼働停止を求めているものではなく行政として必要であれば協議に応ずる旨の口約束があるのだ」と言ってきました。
 呆れた話ですよね、行政が発する言葉として口約束があったなどと言えるのですか、苟も公務員である公僕がですよ。10月20日付で、「口約束があったなどと言うことは如何なものか」と回答、併せて平成5年11月11日の不燃物処理施設建設審議会議事録(当時の自治会長と市長のやり取り・暫定施設としての8億円施設の建設である)の抜粋をつけまして自治会としては協議に応じることの無いことを申し入れ最終回答としました。
 ところが、30日に市の最終回答は、「当時の自治会長との間に口頭ではあるが8年稼働時点で行政として必要であれば協議に応じる旨の約束があるのだ」と、再々度の協議申し入れがあった。11月11日には、「我々の回答は終わっている、当局は期限においても先刻承知であるはずなのに何ら手を施さず、口約束があるから”ごり押しすればよし”位の考えでしかない、長年に亙り協力してきた三ツ堀自治会への思いやりのなさ等、当局の職務怠慢であるとして最終通告とした。私は、口約束というものが許されるものなのかどうか、今までの交渉経過を公開すべく全市議会議員さんへ”市は約束を果たすべし”として対応している現状を11月19日に訴えました。何のことかと思った議員さんもいたと存じますが、市調印のある回答書に対して口約束が有効であるという市の言い分では、はじめてこのことを知った関宿地区の議員さんでも当局の申し入れに疑問をもったと思います。11月26日になんと4度目の申し入れがきた、「当時口約束があったので斯かる内容をご理解いただき協議いたしたくお願いしたい。・・・・・・」「無視」
 12月3日に稼働が継続されていることを確認し「即時停止するよう」抗議文書を発送。12月23日、臨時自治総会を開き市を告訴する旨決議し、12月25日に野田市を告訴した。
 以降、昨年12月28日までに7回の公判が開かれましたが5回目までは準備書面によるやり取りでありました。当方の準備書面が6通、証拠書類が24通であります。6回目が11月5日に行われた証人尋問であります。傍聴された越智邦子議員の議会報告でおわかりのように、口約束が有効とうそぶく野田市の態度です。「裏切られて悔しい! 自治会長が単独で課長レベルと密約できるような事ではない」と元自治会長は言っております。彼の示したワープロでの証拠書類にはウソの供述が入り込む隙は存在しないのです。当時のやり取りを記録していた元自治会長の書類に敬意を払い彼を尊重します。
 そして、市に正式な謝罪を求めて頑張っていきます。

「想像する」ことの面白さ
 パソコン部品のPRするアルバイトを始めたことをきっかけにして、去年の12月に「パソコンを自分で組み立てる」ということにチャレンジしてみた。
 そのために、まずパソコンを構成する部品を単品で買い揃えるのだが、ここで重要なことは「完成後の姿を想像する」ということである。そのパソコンに何をさせるのか、自分はそのパソコンでどんな作業をするのかを頭に描き、そのために必要な性能を持たせるために部品を吟味し、財布と相談の上で購入しなければならない。この「想像する」ということが、パソコンを自作するにあたって最も楽しい部分であると思う。
 ふと世間に目を向けてみると、この「想像する」ということをおろそかにしているのではないか、と思うようなことが少なくない。最近、治安が悪くなった、凶悪事件が増えた、との声も聞くが、そういった事件も、相手の気持ちを「想像する」ことができれば、起きることもなかったのではないかと思う。
 確かに生活が豊かになり、私たちが「想像する」ことは、昔に比べて少なくなっているのかもしれない。だがそんな時代だからこそ、「想像する」ということを忘れずにいたいものである。
 私の組み立てたパソコンは、想像を超える働きをしてくれた。このときの喜びはなんとも言えないものがあった。私はしばらく「想像する」ということを忘れられそうにない。
村上 豊(三ツ堀在住)

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