tuusinnlogo.jpg - 9,054BYTES
No. 2011年5月 6面






「人にやさしく、クリーン」ではなかった原発


 3月11日、前ぶれもなしに襲いかかった大地震津波が、人々の日常を根こそぎにしてしまった。さらに被災地に追い打ちをかけた福島第一原発の事故。その対応に追われて、助けられたかもしれない命が、どれだけ失われていったことか、どれだけの人が安否のわからぬ肉親への思いを抱えて、寒さと空腹に耐えなければならなかったことか。さらに周辺地域の人々は行方不明の肉親を捜すこともできずに、着の身着のまま避難を強いられた。とうてい茶の間に座す者が共有できる苦難ではなかった。

 人気タレントを起用した原発のCMがテレビ画面から消え、かわって多重防御の構造だから「大丈夫」の説明が繰り返された。しかし多重防御に守られたのは、原発でも住民でもなく「安全神話」だったのだ。きわめて危険な状態にもかかわらず、政府も東電も一切正確な情報を公表することなく、「冷静な対応」をと批判封じを行った。政・官・財・学者・文化人・メディア一体の翼賛体制はひどく息苦しい。ひと月もたってチェルノブイリ事故と同じレベル7の発表。今なお放射性物質の汚染拡大について「直ちに健康に影響の出る値ではありません」を繰り返し、将来予想される健康被害を隠し適切な対応を怠っている。子どもたちが心配だ。原発20キロ圏は封鎖となり住民はすべての生活基盤を奪われ、現場ではたくさんの人が、命のかかった過酷な作業を余儀なくさせられている。

 「どこかで割り切らなければ原発は設計できない」斑目原子力委員会委員長の弁だ。どこかで割り切る、そのどこかの基準がコストであったり、国益であったりしていなかったのだろうか。原子力発電は現時点で制御可能な対象であるのか、真にすべての人間に恵みをもたらすものでありうるのか、この謙虚な問いがまず始めにあったのか。現場作業員や避難住民への一連の対応をみれば「割り切られた」のはわたしたちの命だったとしか思えない。

 原発で20年間現場監督として働き、長年の被曝により癌で亡くなるまで、原発の危険性を告発しつづけた平井憲夫さん。彼のレポートを読むまでわたしは、原発が普通の職場環境とは全く違う世界で、働く人を絶対に被曝させなければ動かないものなのだということも、作業員には国の被曝線量で管理しているので、絶対に安全だと洗脳教育をしていることも、そしてこのような作業現場の人の命を命とみることのない闇から生み出される電気を享受する、これが「人にやさしい発電 原子力」なのだということも知らなかった。
 原発はまずいと思いながらも、これといった行動を起こすこともせず、ことここに至って原発反対と声をあげるのも風刺漫画のネタになりそうで恥ずかしく、なさけない。けれども戦後の60余年、あれこれ批判しつつも、上昇日本の恩恵を受け続けた末に次代に残すものが、延々と続けねばならない核のゴミ処理と放射能にまみれた国土ではあまりに罪深い。まずは原発をよしとする人、否とする人、保留の人みなで率直に話し、考えてみる場をつくりたい。
(清水在住 富村友子)





前のページへ    2・3  4・5